「不要不急」の言葉の力
先日、朝日新聞の記事を見ていて末井昭さんのインタビューにはっとしました。
(以下記事引用)
「人によって、何が不要不急かは違いますよね。今は政治が、最大公約数的な観点から『これは不要不急だから自粛して』としてしまうけれど、現実には誰かの不要不急でも、ほかの誰かには『要』だったり、『急』だったりするわけです」
「そんなこと言ったら、自分自身が最大の不要不急的存在に思えてきます。若い頃は、社会の下のほうで生きていて、自分は不要な存在だと思っていましたから」
今イベント自粛のあおりを受けて、イベント(私がお仕事させてもらっているのは舞台やライブ、ファッションショーなど人がたくさん集まる会場での催し制作)自粛、と毎日テレビで見るたびに鬱鬱とした気持ちを持ってしまっています。これまで携わってきたことは、「不要不急」と一言で言われてしまうようなことばかりだなぁ、、と思わざるを得ないなぁ、、と。みんなハッキリキッパリ言ってくれるよねー、と若干悲観的になり、日々のニュースすらもう見たくない、なんて思う日もあります。
そんなやさぐれた(?)日々を送る中で、誰かの不要不急は誰かの「要」だし、「急」なんだ、ってハッキリ言ってくれる人がいて、私はこころが救われた気がしました。
ちなみに5月12日(火)~6月6日(土)に予定されていた『BEST OF THE SUPER Jr.27』の開催中止は私にとっては当然「要」の大会なので、とても残念です。
もう、これまでの常識とか当たり前が根底から覆ってしまった時代になり、これから何をすべきなのかが何も見えない状況だけど、いつの時代も変わらず目の前にある今できることを、一つずつこなしていくことが前に進むことかな、と感じてはいるものの、日々思考は行ったり来たりしています。
↑去年観に行ったこういう大会も、もうしばらくは行われないんだろう。。こんな時代になるとはこの時思いもしなかったなぁ。。